「東電テレビ会議映像」とは

 

「東電テレビ会議映像」とは、福島第一原子力発電所の事故当時、東京電力本店の2階にある非常災害対策室と福島第一、第ニ、柏崎刈羽原発非常災害対策室、オフサイトセンターの間を結んだテレビ会議の様子をそのまま録画した映像を指す。

 

東京電力によると、映像の録画をはじめたのは3 月11 日の午後6 時27 分から。そのうち、設定ミスやハードディスク容量の問題などで、音声が記録されている映像があるのは、3 月12日22 時59 分から5 月15 日0 時6 分までと、その後、約1日空けて16 日3 時18 分以降から4月6日までの約650 時間分だ。OurPlanetTV では、このうち、3 月12 日から15 日までの49 時間の映像のうち、一般公開されている約10 時間分を編集して前編1 時間47 分、後編1 時間39 分、計3 時間26 分にまとめた。

 

音声つきの初期のテレビ会議映像は、前述のとおり限定的で、地震発生直後の初動や1号機爆発が起きた3 月12 日、撤退問題が浮上し菅総理が東電に乗り込んだ15 日の深夜から明け方、プラントから衝撃音が聞こえ、高濃度の放射能が広がった15 日の昼間の様子は存在しないと主張する。また、「社員のプライバシー」を守るとの名の下、画像人はモザイクが入り、音声分の固有名詞にはピー音が入る。しかも現在、東京電力は、マスメディアに対しては、上記の映像を全て公開しているものの、一般市民に対しては、更に限定的な細切れの映像をインターネット上に公開しているのみである。

 

従って、一般公開された素材のみを利用した本映像「東電テレビ会議 49 時間の記録」は、肝心な部分が欠けた限定的な内容と言わざるを得ない。しかし、そうであっても、この映像は事故の検証には欠かせない「一次資料」である。実際、政府事故調や国会事故調など、公的な事故調査においても重要な役割を果たした。

 

なお、東電テレビ会議映像はその存在が明らかになって以降も、容易に公開にされなかった。事故から1年半を経て、朝日新聞のキャンペーン報道や東電株主代表訴訟原告団らの保全の申立てなどを経て、ようやく公開された。朝日新聞の同キャンペーン報道は、2013年度の石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム賞奨励賞(公共奉仕部門)の奨励賞を受賞している。  

  

報道ドキュメント「東電テレビ会議 49時間の記録」 ・ 前編 (107分)

3月12日深夜22時59分から13日までの約25時間を1時間47分に編集。前日の3月12日は午後3時36分に1号機が水素爆発し、原発周辺地域の放射線量は既に大幅に上がっていた。10キロ圏内の住民へ出されていた避難指示が、午後6時半すぎ20キロに拡大。録画はこの日の22時59分、東電の武黒フェローが官邸から東電本店の戻り、民主党政権に対する苦言を述べる場面からはじまる。

 

≪この日の動き≫

13日は、3号機の注水がうまくいかず、水源の確保に追われる一日となる。また、ガソリン、エンジン、車両、果ては現金など、あらゆる物資が不足し、その調達に苦しむ姿がわかる。

02:42 3号機の高圧注水系(HCPI)停止

03:52 吉田所長が3号機のHCPI が停止と原子炉圧力の気づき報告

04:24 福島第一原発でガソリンが欠乏。そのほか、物資調達に追われる。

05:58 3号機が原子炉冷却機能を喪失し、緊急事態を通報

06:50 保安班が線量の上昇で注意喚起

08:08 重要免震棟で放射線量が毎時70μSv に上昇

08:26 1号の機燃料プールの温度上昇を報告。氷を入れる方向で調整

09:30 3号機のベントをしたと報告

11:56 4号機の核燃料プールが78度に上昇と報告

13:11 3号機の海水注入を開始

14:07 3号機の水素爆発回避策の本格検討がはじまる。

 

報道ドキュメント「東電テレビ会議 49時間の記録」 ・ 後編 (99分)

後編は3月14日の24時間を1時間39分に編集。東京では、計画停電が予定されていた14日。この日は、3号機が水素爆発し、更に2号機が危機的な状況に陥る。ベントには、水を通してベントするウエットベントと水を通さないドライベントがあるが、2号機では、大量の放射性物質を放出する恐れのあるドライベントをせざるをえない状況に追い込まれて行く。夕方を超えると東電本店の動きが激しくなり、作業員の撤退問題が浮上する。

 

≪この日の動き≫

05:36 3号機の圧力が再上昇

06:25 3号機の燃料棒の全露出が判明

06:42 吉田所長が、福島第一原発作業員を一時退避

11:01 3号機原子炉建屋が爆発

13:30 2号機の圧力上昇。SR 弁が勝手に数回開く。

14:03 被ばく線量の上限が100mSv から250mSv に引き上げられたことが伝わる。

16:14 2号機への注水方法を巡り、班目委員長が介入。東電側の案と対立する。

16:34 班目委員長の案に従って2号機原子炉の減圧操作を作業するが、うまくいかず。

18:01 2号機減圧開始するが、水位は回復せず。

18:28 消防車の燃料切れが発覚

19:00~ 2号機の危機的状況へ

20:00~ サイトからの全員避難が議論され出す

21:37 第一原発正門で毎時3.13mSv のガンマ線測定

23:33 ドライベント実施へ